言葉があるのに。




人は、言葉があるのに、使わない。

伝えたい事があるのに、伝わらない。

伝える言葉が見つからない。

言葉が、使えない。




話せるのに。
遠い。
何かがすれ違ってる。
それを修復できない。

言葉が出ない。



胸にある気持ちが喉を通る。
そこで想いが削げて、落ちて、音が軽い。

本当の気持ちはいつも胸に。

あなたには涙でしか答えられない。

さよなら。






『さよなら、シノノメさん』




やっとで、書けた言葉はそれだけだった。








「お前、バカじゃねえの?」

両目からボタボタと涙を流しながらオレは振り返る。

そこには、もう30を越したオッサンが真っ赤なタンクトップ
着てオレの手元を後ろから覗き込んでた。

髪はボサボサ。

膝丈のジーンズ(ビンテージもどき)、薬指に指輪のイレズミ。

その濃い蒼のワッカに細かく彫られた名前はラン。











あれから3年が経ち。


オレ達は相変わらず、家族だ。







オレ(セイショウ)は、結局、高校を卒業した後、ランの店に就職
しなかった。

オレはもっと使える男になるべく料理の専門学校へ入り、今はその2年生だ。

「半年だぞ・・・?半年も、あの人が、一人でオレを待っててくれる訳ない・・」

言いながら、涙が溢れてくる。

「ハイハイ。いっそのこと、連れて行けよ。どーせ、あのヤローはアキタんとこ
で、ろくでもねえ新人の育成してるだけだろ」

「シノノメさんは、ヤクザじゃねえよ!!あの人は真面目に金融業やってるよ!!」

オレは強く否定すべく机を叩いた。

「金融屋なんて、皆ヤクザだろーが」

ゲンはオレの書きかけの手紙をひったくり、踵を返す。

「あっちょ、ソレ!!」

涙を拭きながら、慌てて追っかけたけど、遅かった。

ソファにいたランにゲンがその紙を差し出す。

「見るなってば・・・!!!」

たった一行、しかも数文字しか書いてない手紙はあっという間に解読。

慌てて取り戻しても、真っ赤な目が全てを物語ってしまう。

「セイショウ・・・よく、決心したな・・!!これでオレも安心してお前を
送り出せるぞ〜!」

ランの残酷な笑顔。

「ラン〜〜〜〜っひでぇ・・ひでぇよ・・!二人してっ二人してっオレが
こんなに悩んでんのに!!」

それにゲンが噴出した。

「たった半年だぜ?お前って、んな自分に自信ねえのか?」



自信?

自信なんてどこにも無い。

いつだって、振り回されてばっかで。

あの人は、自分の中にオレを入れてくれたようで、実際は中で触らしもくれないんだ。

隙間があっても、遠くからそれを眺めてろってあの人は言うんだ。

真っ暗なモノに自ら首を突っ込むなって。

オレに触るなって。

オレはそんなの怖くないって言っても、あの人は笑うだけ。

オレの価値はそこまで。

本当に大事な所までは、近づけさせてなんて貰えない。

・・・ペット。

かわいがりたいだけの存在なんだ。






だから。

この3年・・・オレは一度も好きだって言ってもらえてなかった。








来月から、オレは半年間ヨーロッパで修行する。

これはカリキュラムの一部じゃない。オレの通う学校の講師に来てた先生が
オレを推薦してくれたんだ。

卒業は遅くなるけど、一流の味を、自分の地元で覚えてくるように、と。

自分の友人の店を2軒程ピックアップしてくれて、そこを3ヶ月ずつ廻る。







『で、いつ帰る?』

嬉しくて、思わず電話したシノノメさんの声は、静かなものだった。

「・・・は、半年後」

『そうか。長いな』

「うん」

誰も居ない踊り場で、オレは落ち着かなくなる。

ほんの数歩分のスペースでオレはウロウロして、次の言葉がつげないでいた。

『頑張って来いよ。餞別に万年筆の形の銃をやるよ』

「い、イラナイよ!!あぶねっんなの持ってるほうがあぶねえよ・・っ」

耳の奥でシノノメさんの笑い声がして、じゃあなって電話は切れた。


いつもみたいなカラカイの口調だった。

でも、『長いな』ってセリフが胸を突く。

長い。

半年は長い。
半年も一人で居られるだろうか?
半年も、シノノメさんは待っててくれるだろうか?
オレ・・・ホームシックっていうか・・・シノノメさんシックになるかも。
すぐに、帰って来れるのかな・・?
たぶん毎週は無理だろうけど・・・、でも、オレ、シノノメさんに会えな
かったら、死ぬ程ツライと思う。
あの腕がオレの側になかったら、オレ寂しくて死んじゃうかもしれない。


そうだよ。

あの人から離れてなんて生きていけないってずっと思ってた癖に・・。


3年前、シノノメさんが消えた1ヶ月。

オレはどん底を見た。

世の中の全てがオレに敵意を向けてる気がした。

あの人が居ない事が、オレを無気力にさせてた。

ただひたすらに、佇む事しか出来ないオレ。

何も出来なかった。何も。

そんなアンタがオレと同じ気持ちだったって知って、オレは二度と離れないって

誓ってた。二度とゴメンだって。この人から離れるなんて死んでも嫌だと。

「なに・・・やってんだ、オレ」

喜んで一番に電話なんかしちゃって、シノノメさんどう思っただろう?

「オレ・・・バカ?どうしよ・・っ何、喜んでんだよ・・っ半年も・・会えなくなる
かも知れないってのに・・!!」

項垂れた頭が鉄筋の手摺にぶつかった。鈍痛。

涙。



そうして、一週間、シノノメさんから連絡が途絶えた。

「で、『さよなら、シノノメさん』か」

ゲンが噴出す。

「
半年離れるくらいで別れるなら、シノノメはお前のチンポにイタズラなんか
しねえと思うけどな」

「イタズラって言うな!!」

ゲンが缶ビールをキッチンから2本取ってくる。それをランに廻す。

「ああ・・・アレ、まだつけてんのかセイショウ。婚約指輪の替わりって言って
たっけ、お前」

プルを引くと炭酸の弾けるような音がした。

ランがグビグビと飲んで、ソレをオレに廻してきた。

ゲンも水のように缶を傾けて、息を吐いてからランに聞く。

「純正シルバーの特注品。ダイヤ何カラットだった?」

「さぁ・・セイショウ見せてくんねえから、よく見てないけど。100万は軽い
よ。アレ」


100万・・・!!

確かに大きそうな一粒ダイヤが、ソコにはついていた。


「確かに指輪くらい余裕な値段だよな・・・」

「それでも自信ねえ?半年位い待ってろって言えねえ?なら、オレが言ってやろうか」

ランの発言は怖い。本気でやる。

「い、いい。自分で言う・・っ」

もう一度、オレはビールを飲み込んだ。




さよならって書いた手紙は、ゲンが丸めて、ゴミ箱行き。







それでも、携帯のリダイヤルに戸惑う。

どうして、シノノメさんは電話してくれないんだろう・・?

オレを待っててくれるつもりがあるなら、別にフツウに電話してくれるんじゃないかな?

向こう行ってからのオレの心配とかさ、休みにはオレもそっちへ行くとかさ?

そういうの。



無い。




って事はさ。
実はシノノメさん。潮時とか思ってたりして・・・。
・・・・。
あああ、なんて現実味のある想像を・・!!
この3年、一回も好きだって言ってもらえてないだけに、重い!
絶対。
気にしてる。
あんなにはしゃいで電話なんかしなきゃ良かった・・。
バカだよ・・バカ。
オレ、なんでこんなバカなんだろ。

ずっと一緒にいるってオレだって、ずっと一緒に居たいよ・・。
だけどさ。
アッチで勉強もしたいんだよ。
めったに無いチャンスなんだよ。
オレが入ってく世界に、今、認められた瞬間なんだよ。
それ・・・と、シノノメさん、どっちかとか・・・そんなの、絶対比べられないんだ。

留学はする。
だけど。
シノノメさんとも別れたくない。
待ってて欲しい。
絶対待ってて欲しい。

でなきゃ、そうだよ。
オレの身体にこんな事した責任取って貰わなきゃ。

責任・・・。


そんなの、本当は・・・。

ただ、たださ。

好きだからって、待ってて欲しいよ、オレ。

シノノメさん。


携帯の表示画面にはシノノメの写真が映ってた。

それを少し眺めてから、閉じた。

また、声も聞けない。

聞く勇気が無い。











留学の費用は、バッチリ自分で出せた。

それは、もちろん、上條の親父がオレに作ってくれてた通帳からだけど。

手切れ金みたいなもんだと思って、母さんが死んだ時に貰ったもんだ。

そこから金をとりあえず300万引き出し、その後でもまだ金が要る事
がわかって、また引き出しに行くと、金が300万振り込まれてた。


「・・・なにこれ」

オレはあの親父を親父だなんて思っちゃいない。

訳のわかんねえ事して、オレの母親を苦しめたヤツだ。

ついでに言うとゲンの事も、そして、オレの事もだ。

どうやったって、オレの母親は上條から逃げられなかった。

それでも、母さんはオレをなんとか自分の力で育てようと頑張ってた。

一緒にいる時間は少なくてもオレ達親子は幸せだったんだ。

一生懸命、幸せだった。


瞼が重くなる。目がこれ以上は無いくらいに細められる。

携帯から、上條家の番号を押した。

数回のコール音の後、あの親父の秘書のナントカさんって奴が出た。

それから、すぐ、声が替わる。

『久しぶりだなセイショウ、元気か?』

「何だよ、あの金!」

『学校から連絡が来てな。学費は私が出す。当たり前だろう』

「何もいらない。オレはこの通帳一枚で、きっぱり上條とは縁が切れた
と思ってるから。余計な事すんなよ」

『・・・近々、家を建て直す事になってな。要る物があれば引き取りに
来なさい』

電話はそこでプッツリ。



建て直す・・?
自分の家から引っ越させられた時、いっさいがっさいをあの家に持ち込まれた
とは思うけど、結局オレは上條の家を出る時、殆どのモノを置いて出て来てし
まっていた。


母さんの物がある。


あのクソオヤジ・・・!!要らなきゃ捨てるってか・・!

イライラとオレは、ケツに通帳を突っ込み、上條の家へと向った。






長い塀。

久々に来た、上條の家は、塀の内側から覗く松とか桜の木とかが不気味に
コッチを覗いてるようだった。

この家から、母さんは逃げた。

ゲンを置いて。

置いていかれたゲンを少しだけ想像した。

長い廊下。

そこにポツンと突っ立ってるゲン。

それが、自分の姿とシンクロした。

「ヤな家」

そう呟いて、門を潜った。

すると。

使用人が総出で行ったり来たりしている。

知らないようなオッサンも何人もいる。

オレは顔見知りの家政婦さんを見つけて、後ろから声を掛けた。

「香川さん」

ふっくらとした感じの40過ぎの彼女は、あらまぁとオレを見上げて微笑んだ。

「セイショウさん、お久しぶりですね〜。ちゃんとお勉強なさってますか?」

彼女は他のお手伝いさんと一緒にダンボール箱へ客用だろう食器類を詰め込んでいた。

「まぁまぁ」

適当に答えると、香川さんは笑って、オレの背中を叩いた。

「まぁた、セイショウさんは!知ってるんですよ?今度留学なさるって!!
優秀だっていう証拠じゃありませんか。めったにない事だと聞きましたよ?
しかもヨーロッパ!おいしいものイッパイあるんでしょうねぇ」

苦笑。

「帰って来たら、なんかご馳走するよ」

「まぁあ・・!!・・・内緒で、お願いしますよ?」

「へ?なんで?」

聞くと、香川さんは小声で笑った。

「他にもたくさんお手伝いのおばさんがいるじゃない?私だけと約束ですよ?」

悪巧みな笑いに、オレも指でOKを作った。

「それでさ・・・聞きたいんだけど」

母さんの荷物が何処にあるのか聞こうと思った時だった。

庭が見えるガラス張りの廊下。

そこでオレは立ち尽くした。

「ダレ・・・?」

指差すと、香川さんは、少しだけ顔を曇らせた。

「レイト君・・・です」



そのまま、オレと香川さんはその子を見つめてた。


庭の池の周りで、庭石の上をピョンピョンと跳ねていた。





ゲンの子だってのはなんとなく感じた。

ただ、なんで、ゲンの子がここにいるのか。


「お母さんは?」

香川さんに聞くと、香川さんは困ったように顔を傾げて言う。

「・・お体を、壊したそうで・・・海外で、療養中だそうです」

「いつから・・・ここにいるの?」

「もう1年位いですよ」






















「ゲン!!」

うちの隣に部屋をゲンは仕事場に使ってる。インターネットの酒屋を開いてる。

そのドアをガンガンと殴った。

「ゲン!!開けろよ!」

玄関のドアがゆっくりと開く。

その玄関にまで山積みの酒のダンボールが積まれている。

その隙間にゲンがタバコを咥えて、眉間を寄せている。

「うるせえぞ、このチンコピアス!」

「ゲン!オレ、家に行ったんだ、今さっき。あの家建て直すって聞いて、母さんの
物を取りに行こうと思って・・・!」

「ほうほう、ご苦労さん」

ゲンはさっさとパソコンの前へ座る。

その背中にオレは言った。

「ゲン、お前の子が居た」

ゲンは振り返らない。カチカチってマウス動かす音がした。

「あの家に・・・。お前の子供が居た。もう・・・一年も前から居るって香川さんが」

ガンッ!

って、重い音がした。ゲンがパソコンの机を叩いた音だった。

「ゲン・・・」

「オレのガキじゃねえよ」

「・・・・お前のガキだ」

「違う」

「違わない。見て来いよ。自分で見て来いよ!!あの家に閉じ込められてるガキを
見て来いよ!!誰にもかわいがってもらってないあのガキを見て来い!!!」

ゲンの胸倉を掴んでた。

ゲンは唇にタバコ咥えたまま。

「オレは嫌だ。嫌だ、ゲン・・!アイツには・・片親も居ないんだ・・!!オレには
母さんが居た。お前にだって父親がいただろ・・!?アイツには今どっちも居ないんだ。
会いに行ってやれ!助けてやれよ!!」

ゲンがタバコをふかす。

「・・・オレのガキじゃねえよ」

手から力が抜けた。

ゲンはまたモニターに目を向ける。

オレは、どうしようもなくそこに突っ立ったままで、丸まったゲンの背中を見てた。



実は。お前ならわかってくれるって信じてた。
同じ思いしてたんだろうって。
寂しさと戦ってたんだろうって。
何も信じられるものが無くて不安で、一人で。

だから、ランに縋ったんだろう?

オレには母さんが居た。一緒に居る時間は少なかったけど。
母さんは優しくしてくれた。

じゃあ、お前は?

敵だらけの家で、誰も仲間が居ない。父親は厳しいだけ。
誰にも甘える事なんて許されない。

塀を一枚越えたそこに、ランがいた。

ゲンはランだけが支えだったはずだ。


「ランに・・言う」

やっと出た言葉は子供じみてた。

ゲンが振り返る。

「テメェ・・ふざけんじゃねえ」

「ゲンのガキだ。もし違くても、ランなら助けてくれるよ。オレを助けてくれた
みたいに」

部屋を出ようと背中を向けたオレの腕をゲンが勢い良く引いた。

オレはガクンと後ろに転がって、ダンボールの山に頭をぶつけた。

「イッテぇ・・」

「ランに言ってみろ・・・。てめえ殺してやるからな・・!!」

ギラリと暗い目でオレを見下ろすゲンにオレは叫んだ。

「殺せよ・・っ殺してみろよ・・!!てめえ、言ってたじゃねえかよ!
そんな気持ちくらいで別れるのかって・・!!オレに言ったじゃねえかよ!
テメエはどうなんだよ!?ガキがいるのなんかとっくにバレてんだろうが!!
今、ガキが目の前にきたらランが離れてくとでも思ってんのかよ!?アイツを
そんな位いにしか考えてねーのかよ!?」

今度はゲンがオレの胸倉を掴んだ。一瞬ゲンの右腕がその背に消えてから。

バシッと音がして、顔が熱くなった。

「アイツのせいで・・・あのガキのせいで・・オレは、オレはなぁ・・!!!」

ゲンの顔が怒りでゆがんだた。

口の中が血で濡れてる。

舌は動いた。唇はフガフガした。

それでも、口を開いた。

「ゲンの、子供だ・・・」

ゲンはオレの顔を痛々しそうに見つめてた。

「助けて・・。頼む、ゲン・・。ゲン・・」

ゲンはオレから手を離して、部屋から出て行ってしまった。

オレは力が抜けて、仰向けに倒れた。


悲しくて涙が溢れた。




どうにもならない。

留学も、シノノメさんも、ゲンも、ゲンの子供も。

オレは、なんて力が無いんだろう。

助けを求めるしか出来ないなんて、なんて情けないんだろう。

シノノメさんの声が聞きたかった。

シノノメさんに会いたい。

会って、ちゃんと待っててって言わなきゃ・・。


そうわかっていても、涙が止まらなかった。

辛くて、辛すぎて。


一生消えない物が欲しい。

変わらない物が欲しい。

でも、契約とかそんなもんじゃ嫌だ。

心があるもので。

ずっと信じられるもの。

シノノメさん。

オレはガキかな?

あんたに何回も抱かれてるのに、好きだって言って欲しくて。

「好き」に拘ってる。

言ってくれない事が、胸に巣食ってる。

アイシテル。

アイシテルよ。

ずっと。ずっと。ずっと。

死ぬまで。









その時、携帯が鳴った。










真っ黒のベンツがマンションの前で止まってる。

こんな光景をいつかも見た気がする。

そのドアを開けて乗り込む。

と、お互いに顔を見合わせた。

「その顔・・・!」

「どうした!?」

シノノメさんの口元が紫に染まってた。

「シノノメさんこそ・・・どうしたのソレ」

オレの顔をシノノメさんの指が優しく撫でてくれる。

その仕草に、まだ愛が感じられる。それにすごくホッとして涙が浮かんだ。

「死ぬ程・・仕事してきた」

シノノメさんの唇がそっと触れる。柔らかさだけを味わって唇は引いて
いってしまう。

目を開けて、再びこの人を見つめる。

やっぱり好きだ。大好きなんだ。そう思って胸が締め付けられた。

「それで、仕事を辞めさせてくれってアキタに頼んだら、殴られた」

「え・・・?な、なんで?」

シノノメさんは肩を竦めた。

「このスケベヤローって殴りやがった、アイツ」

「ええ!?」

オレは余計に訳がわからなくて、絶句してしまう。すると、シノノメさんが
噴出した。

「仕事辞めて、お前の後付いて行くって言ったらな、アキタのヤロー、
笑顔でワンパン入れてきやがったんだよ。それで、うちの上司は転勤にしてくれるとよ」

シノノメさんが笑いながらタバコを抜いた。

それを咥えて、またニヤリと笑った。

「・・マジで?・・・ついて来てくれるの・・!?」

思っても無かった答えが返ってきた。
これ、オレの人生の絶頂期かも知んない・・!!

口んなかが切れてたけど、思いっきり笑っちまった。

それで、シノノメさんに思い切り抱きついた。

「オレを切り離す気だったのか?おい」

笑ってシノノメさんがオレの頭を撫でた。

「好きだよっ大好きだよっシノノメさん!!シノノメさんが言ってくんなくても
ずっと、ずっと、絶対大好きだよッオレ!!」

「ああ・・・。いいな、こういうのも。オレらは離れちゃダメだろ。セイショウ。
お前は、アマアマだからな。すぐ泣きを見るだろうし、オレもこっちに残って、
一人で仕事しながらヤキモキなんてガラじゃねえんだよ、なぁ?」

これ以上は無いってくらいキツク抱き締めて、オレは嗚咽噛みながら。

「オレが・・・!!オレが絶対シノノメさん囲ってやる・・っ」

それをシノノメさんは、鼻で笑って。

「生意気だな。学生が」

そしてまた、口づけられた。

心からオレはシノノメさんに寄り掛かった。











だけど問題はまだ残ってた。












「どうしろって・・?」

ゲンは呟きながら、上條の家の前で立ち尽くしていた。

オレは遠くからそれに気づいて、暫く様子を見てた。

結局オレは何も荷物を持たないであの時帰ってしまったから、再び上條の家
へ向う途中だった。

その目の前に、ゲンに似た人間が歩いていた。

いや、ゲンだった。

そして、ゲンは上條の家の前で、立ち尽くしてた。

もう15分は経つ。

オレは携帯を開いた。

「・・・もしもし、ラン?」

『おう、なんだ?』

「ラン、来て。頼む、来て」

『は?どこ?どこに来いって?』

「・・・上條の家に、すぐ来て」

数秒の絶句の後。

ランは、わかった、と言った。

ランも気づいてるかも知れない。

オレは残酷な事してる?これで、また二人がハナレバナレになるかも知れない?

だけど。

オレは嫌だ。嫌なんだ。あの子が、レイトが、あそこでたった一人で生きてく
なんて、オレには我慢出来ない。

最悪、シノノメさんに頼もうか・・?
オレにあの子を育てられるかな・・?
3人で、フランスに。
出来ない事なんか無い。
きっとなんとかできる。
信じろ。


よしっと顔を上げると、もうゲンの姿が無かった。

「あ・・・」

オレは慌ててて家の前へ行く。

先の道にその姿は無い。きっと、中に入ったんだろう・・。

オレも、息を一つ吐いて、扉に手を掛けた。




石畳。
ツツジ、シャクナゲ、桜、モクレン。
歩いて行くと、話し声が聞こえてきた。
美しく整えられた日本庭園。
そこかしこに植えられている木々の間に目を凝らす。
話し声はまだ遠い。
奥へと入ると、マキの並びだった。

ゲンがしゃがみ込んでいた。

たぶんマキの植え込みにレイトが座っているんだろう。

「ゲン」

ゲンは、びっくりした顔で慌てて立ち上がる。

「何・・おまえ・・」

「オレは母さんの遺品取りに・・。レイト君、こんにちは」

レイトは、ポカンとオレを見上げてた。

「まだ、口聞けネエみたいだ・・。単語ポツポツ言うけど。レイトっていうのか」

「この前、香川さんに聞いたんだ。レイト君だって」

レイトはズボンが汚れるのも構わないで、庭の砂をバラバラと自分の足の上に
蒔いて遊んでいた。

砂を蒔きおわると時々、オレ達を見て笑う。

その笑顔につられて、オレもゲンも笑う。

「なんか・・・和む」

「・・・・考えたよ。オレも」

ゲンはまた座り込むと、レイトの服の砂を払った。

「考えた。もし。オレの子じゃなくても。オレの子でも。子供がいる場所じゃ
ねえなって。スーツ着たオッサンばっかが出入りするとこで、子供なんか、
いつもジャマになってた。アッチ行けってよくやられたよ。一番ムカついたのは
従兄弟が来てた時だ。オレを外に出したクセに、奴らの事は追い出さなかった。
何て言ってたと思う?『ママと一緒にいる』だ。オレにはママが居なかったからな。
素直に親父の言う事聞くしかなかった。ジャマだと言われれば退いて、外に出るなと
言われれば、庭の中にいた」

そこで、ゲンが舌打ちした。

「てめえ、マジでしょうもねえよな。お前が来てからロクでもねえよ。ランは寝取る。
同棲する。挙句、ランをレンタル?今じゃ家族で、3人で同居。・・・・んで、留学
するとか言うから、コッチは喜んでりゃ、・・コレだ。もう、んな考えなくったって
思い出しもしねえ嫌な事をオレに思い出させやがって、なんなんだ。お前はなんなん
だよ?」

ハーッとゲンは長い溜息を吐いた。

「・・・あんたの、弟だよ。オレは」

オレもゲンの隣に座り込んだ。

「弟かよ・・」

「へーー!ゲンと似てるなぁ」

突如。

空元気な声がオレとゲンの上から降る。

「ラ、ラン!!」

「はえ〜」

驚くオレ達にランが笑う。

「タクシーの親父後ろからガンガン蹴ってやった。ぶっ飛ばしゃ10分だよ」

「テメ!セイショウ・・・!!お前なぁ・・!」

ゲンがオレの首根っこを掴んだ。

「だって、オレだって訳わかんなくて・・・!」

「口元が似てるよ、ゲンに。何て名前?」

ランがオレ達の間に座ってレイトに手を伸ばした。

「レイトだってよ」

「レイト君か。2歳・・かな」

おいで、とランがレイトを抱き上げた。

「うわ、お前砂だらけ」

レイトはその砂だらけの手で、いきなり抱き上げたランの髪を掴む。

「イテテっこら、イテェぞ、引っ張るな。よし。レイト、ウチ来るか?」

「ラン・・!」

「ゲン、久々に悪いこと思いついた。誘拐しよう」

笑ってランが大股で歩き出す。

唖然とするゲンを置いてオレも後を付いて行った。

日向でフと振り返った。

「ゲン、セイショウ。全然お前らみたいに、似てない。お前らは本当の兄弟だよ。
レイト。レイトは、ゲンの子供だろ?そうだよな?」

言ってランがギュッとレイトを抱き締めた。

「ゴメンな。オレがお前の父ちゃん独占してた。ゴメン。レイト。レイト。一人に
して、ゴメンな。ゴメンな。本当にごめん」

「ラン・・・」

ゲンが堪らないって顔でランに近づいた。

「ラン。オレ、・・・ずっと考えないようにしてた。もし、オレの子だってしても
勝手にアイツが育ててるって思って・・、コイツの存在なんかずっとずっと無視してた」

「ゴメン、ゲン。オレのせいだよね。オレは・・いつまでもヘタレで、わかってんのに、
答えれなくて・・。どっかで子供を見る度に、オレは・・・」

目を真っ赤にさせたランをゲンがレイトごと抱き締める。


タブーだったんだ。

二人はずっとその事に触れないできた。
ずっとずっとただ二人で生きていければって。
離れないように。壊さないように。
望みはただそれだけって。

本当はずっと不安を抱えてた二人だったんだ。

だけど言えないで。

言葉を呑んで。

皆、辛い思いをしてた。




「まぁあ!!ゲン坊ちゃん!!」

廊下の窓が開けられて、驚いた顔の香川さんが顔を出した。

「香川さん・・・」

ゲンは、ランからレイトを抱くと、香川さんに言ったんだ。カッコつけてさ。

「オレの子だろ?香川さん。オレが貰ってく。親権を争いたかったら受けて立つ
って親父に言っといて」

香川さんはっヒッと悲鳴のような息を吸って、慌てて、庭へ降りてこようとした。

「逃げろ!!」

オレ達はゲンの掛け声に、猛ダッシュした。

ゲンがレイトを抱えて、ランも大笑いしながら走る。その後ろを、泣きたい気持ちで
オレも付いて行った。

ゲンのなりふり構わない走りのせいで、レイトの頭がガクガクと揺れてる。

よかったなぁ、レイト。よかったなぁって思ったら涙が溢れてきてた。

そしたら、レイトがキャッキャッて笑い出して、ゲンまで笑って、ランも笑って、
オレだけ、目を擦ってた。




よかったなぁ・・本当によかった・・・!











半月後。
オレとシノノメさんは日本を出発した。
「大丈夫かなぁ・・アイツラ・・」
実は、レイトの面倒はオレが殆どみてたんだよなぁ・・。
留学前で家に居る時間が結構長かったオレは、レイトのいい遊び相手だった。
「オレが居なくて、レイト明日から泣かないかなぁ・・」
飛行機から覗く窓に溜息をつくと、シノノメさんがオレのアソコについてる
ピアスをグリッと押した。
「イッ・・!」
「そんなに、子供が恋しいなら・・。作ってやろうか?」

凄絶!!

耳元で囁かれたセリフに、オレは真っ赤になってすぐ蒼くなった。
「じょ、冗談だよね・・?オレ、やだよ?シノノメさんの子なんて・・・見てみたい
気もするけど・・・でも、シノノメさんが、・・・誰かと・・なんて・・ヤダ・・」

最後は涙声。

それに、シノノメさんは更に意地悪く笑う。
「体外受精ってのはどうだ?」
「シノノメさん・・!」

笑って、また囁く。

「それとも・・・いつか、孕ましてやろうか、セイショウ」












この男が言うと本気に聞こえるから不思議だ。

なんで、こんな絶対みたいな強さを持ってるんだろう?

敵いっこない。

半年後。

オレは妊娠してるかも知れない、と思った。







言葉は大事。
大事だけど、触れることも大事。
どっちかが無くならなければならなくなったら。
オレは言葉が無くなる方を選ぶかも知れない。

掛けられた毛布の中で、そっとオレはシノノメさんと手を繋いだ。

好きだとは言わないこの男を、オレは、死ぬ程好きなんだ。










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