自分から押し付けた唇の熱さに、動揺する。



「ミヤハシ」

コウタの口がオレの名前の形を作る。

かの衝撃に耐えるべく、薄く閉じられていた瞳。

それがまん丸になって、オレを見上げてくる。

鼓動は加速。

テンションはハイとロウを行ったり来たり。



教室の中は僅かな風も感じられず、西に傾いた日差しが

窓際にいるオレ達を灼熱の温度で未だ焼く。


その熱より熱く。




今、ココ(唇)は焼かれた。





「コウタ」

オレは次の行動へ移すべくコウタの身体を引いた。













この一夏を一言で言い表すとすれば。

ただ、一言。

焦り。



何にも出来ない夏だった。

ただ、思うだけ。

願うだけ。

コウタを。

コウタだけを。





もうすぐ18になるオレ、ミヤハシ キヨト高3。



ここ上稜高校の野球部もこの夏、結果を出した。

結果。

結果ってなんだ?

コウタが頑張って頑張ってずっと頑張って、ガキの頃から

頑張って、何年も何年も野球を続けた最後の試合。

それだけでコウタを評価するなんてオレには出来ない。

その試合だけで、強いか弱いか。

そんな簡単なもんじゃない。



ベスト8。




たった4文字。

オレだったら、もっといい言葉で言い表せる。



サイコウ。




最高じゃん。コウタ。ずっとずっと目に焼きついてる。

あの吐き気を及ぼすほどの暑さの中、(なんでか知らんが扇型の)

グラウンドに、立ってたコウタは凄まじくカッコよかった。

真っ白のユニフォームの右膝の下を黒く汚して、片手に嵌めたグラブ。

その手首が少し内側向いて垂れてる。もう片手は、テンパッてる体を

支えるように腰に当てられてた。


甲子園、そこに立ってたコウタのユニフォーム姿は、どんなミュージシャン

とかよりもオレをトキメカせてたんだ。





「泣くなよ、ミヤ〜」

暑苦しいと言わんばかりの口調。

密接するアルプス席で、モモヤマが配給のウチワを忙しく動かしてた。

「うるせぇなぁ・・!」

オレはこれまた配給のメッシュ地の真っ赤のキャップを目深に被り、

両手で頬を覆ってた。

「あのな・・・まだ、2回だぞ」


うるせぇなぁ!!

そう思っても声が出ない。

スンッと鼻を啜るのがその時のオレには精一杯だった。

回とか、んな問題じゃねえんだよ・・!!

オレはコウタが甲子園のグラウンドに出て来ただけで、もう我慢出来なかった。

後から後から涙が出て止まらなかった。

この姿をどんなに望んだだろう。

オレもコウタも。

ずっと夢見てたんだ。

この場所で、コウタがプレー出来るのを、ずっと祈ってた。

この場所で、コウタが動いてる。

足上げて、土叩いて、コウタがオレを振り向いた。

きつく閉ざされた口。

キャップの影になった顔は酷く小さい。

でも、オレはその時完全にコウタと目を合わせてた。

そう確信した刹那。

喉を焼け付くモノが過ぎるのと同時にコウタの姿が目の前で歪んでしまった。





「ま、気持ちはわかるけど」

隣のモモヤマ。

ただ、アイウエオ順の仲だった。

「なんか・・・クるよ」

込み上げるモノがある、と、モモヤマは真っ直ぐに前を見据えてる。


4月。モモヤマにヤル気のねえ合コンに引っ張られて、ハケル際。

食うだけ食って帰るオレにモモヤマがズバリ言ったんだった。

「コウタに悪かったな」

マジな顔で飲酒しながら。

「・・・・悪・・悪くは・・ねえよ・・、片想い、だから」

思わず、出たホンネ。

モモヤマは二コリともしないで、そうか片想いだったのかって言って。

オレは、うんって言って。

それでオレ達は親友になった。





それから、オレは微動だに出来ず、膝の上で頬杖をつく形で

モモヤマのコウタ・オンリーの実況中継を頼んで聞き入った。

だって、オレずっと泣いてたからさ。

カッコ悪くて、目なんか擦れねえし、涙が一回乾いても、また

コウタの姿を見ると涙が溢れて、どうにもなんなかったから。

コウタ、サイコウ。

お前ってば、人類最強にカッコイイよ。







そして、コウタの夏は8月の16日に終った。



甲子園で3回も勝って、湯気の沸くようなグラウンドが、漸く

オレのコウタを放してくれた。

矛盾。

早く終って欲しかった。

コウタを苦しめるあの場所が憎く感じた。

人間が立ってられるような場所じゃねえ。

雲一つ無い空を拳を叩いて睨んだ。

なんで、ドームでやんねえんだよ・・!?

なにが青少年の育成だよ。根性だよ。

今はな、オゾン層にアナぽこ空いてんだぜ!?

温暖化って騒いでる大人が何考えてんだよ!?

苦しそうなコウタを見る度に気が気じゃなかった。

もう、走るなよ!って、動くなよ!って、泣いてるオレの方が

脱水症状起こしそうだった。

だけど、コウタのために、何度も祈った。

もう一度と、何度も何度も、もう一度コウタをと。

これが最後になるんだって何度も胸を締め付けられた。

コウタはきっと泣く。

オレがこんだけ泣いてんだから、きっと泣く。


そのラストをオレは涙で見る事が出来なかった。

ただ、モモヤマの声だけ。

「コウタ、泣いてねえよ」

そのモモヤマの声が震えてたっけ。








「見たかったなあマジ」

「なんだそりゃ」

笑うコウタ。

そのラストを見れなかった事をオレは一生後悔するんだろなぁ。

8月の半ば、全身全霊で戦った戦士を待っていたのは補習授業。

「ったく、たりぃよぉ」

ザリザリする坊主頭を机に突っ伏してコウタが腕を伸ばした。

その頭を撫でる。と、決まってコウタは振り払う。

「遊ぶなよ」

「きもちーんだよなぁコレ」

「伸ばす。ぜってえ伸ばす。もう伸ばすもんね〜〜」

まだ突っ伏したままで、コウタはシャーペンを振った。

さっきから挑んでる特別居残りプリントは一個もウマってない。

「はぁ〜〜、一個もわかねえよぉ。なんなのコレ?日本語かコレ?」

数学のプリント。

その問題の一つをシャーペンで突き刺しながらコウタが呻く。

「しょうがねえなぁ、コウタは」

コウタの隣の席の椅子をコウタのすぐ横へ引き摺って座る。

同じ机にオレも肘をついて、問題を指で辿った。

その指をコウタの目が追ってくる。

「aが最大の時のΣ・・、iが4〜6に変わる時・・んー・・」

無意識にコウタはオレの方へと寄ってきていた。

瞬きをしない睫毛の一本一本までを見つめた。

綺麗にその睫毛の影を映した黒目。

その横を斜めに延びていく鼻梁。

その点を繋ぐ、少し上向きに尖った上唇。

その膨らみは残酷な程やわらかそうだった。

もし。

男がただ強く逞しく生きていくだけなら、唇のやわらかさなんか

いらない。

殴られれば、血を吹くような、鍛える術もないこの器官。

物を食べるのに必要?やわかさが?

いや、不必要。

じゃぁなんのために?

どこもかしこも、筋肉質に鍛え上げられた体で、いったいどんな

理由で、この場所だけが、不必要にやわらかく湿っている?

食べ物では無い。

その他のナニかを味わうためにだ。





「ミヤハシ・・?」

コウタの視線がプリントからオレの目に移る。

瞼を少し落とした憂いの顔だ。

そこへ、息を詰めてオレは首を伸ばした。

驚きに開かれた瞳。

男の身体の中でこんなに美しく色気を持った器官があるだろうか?

そのどちらともつかない感触を押し付ける。

数秒の後、コウタの目が諦めたように閉ざされていく。

目を閉じたまま、コウタの身体を引いた。

しっかりとコウタの肩を腕の中へ閉じ込めてから、顔を離す。

「・・マジ?」

コウタが詰めてた息と一緒に吐き出す。

「ったり前っ」

額を合わせた格好で、オレはコウタの胸元を見つめた。

コウタの目はオレを真っ直ぐに見てる。

その真っ直ぐさはいつだって変わらない。

だけど、こんな時はどうしたってオレは負ける。

こんな風に真っ直ぐに見られて、話なんて出来ない。

理性なんてブットブ。

今すぐ押し倒したくなる。

それをグッと抑えた。

「待ってた。ずっと待ってた。コウタが、甲子園に行くまでオレは待ってた」

「・・・うん」

「うんって・・・、オレ、超必死で待ってたっつーのに・・」

「うん・・・」

「うんって言うな」

「うん・・」

体中の力を振り絞ってオレはコウタを抱き締めた。

ずっとずっと好きだった。

告白したのはもう4年も前だ。

その答えはカミングアウトしたオレにとってそっけないモノだった。

”野球やってるから、付き合えない”

その時は、オレの事なんか微塵も考えていない返事だと思った。

一週間学校を休んで登校した日。

コウタがオレに言った。

”今は野球しかしたくないんだ。オレ、バカだから他にモノ考えられないから”

それから”ごめん”って頭を下げた。お辞儀。




惚れ直すっつーの。




コウタは偏見とか持ってなくて、どうでもいい答えをくれたわけじゃなかった。

それが本気の答えだった。

失恋して、どうでもよくなって腐ってて、そんなオレがイチコロになるの決まってる。

”じゃ、待ってる”

コウタは一瞬きょとんとしてから、いつまで?って聞いてきた。

そりゃオレのセリフなんじゃねえの?って思ったけど、答えてみた。

”コウタが野球し終わるまで”

コウタはそれを聞いてニッコリしたんだった。

バカにしないんだなって。





それから待ってたんだ。ずっと待ってた。

ずっとコウタを見守ってた。この不器用な少年を、野球バカを。

「最高の試合をした。引退もした。当分野球はお休みだ。だろ?」

コウタの腕がおそるおそるオレの背中で動いた。

その腕がオレの背中の真ん中あたりで交差した。

「どうすりゃいいの?」

コウタの声が震えてた。

「なに、したらいいか・・わかんない」

背中に廻った手がオレのシャツを掴んでる。

「イヤなら、拒んで」

オレは背中を引き剥がされる恐怖を感じながら、必死に、拒まないでくれ

ってコウタを抱き締めてた。

手の平、全体で、ずっと恋してた相手を感じた。

これが最初で最後かも知れない。

焦る気持ちが身体が爆発しそうだった。答えを待つ事もイッキに忘れる。

急いでもう一度唇を合わせた。

「ん」

コウタの抗議を無視して、抵抗されないように力づくで首を押さえて、

押し付けた唇を開いた。

その唇を右から左へ舐める、と、コウタの口が何かを言おうと開いた。

もちろんオレはコウタの口の中へと侵入した。

上顎を押しやり、舌の筋を舐めた。これがコウタの・・・って思ったら

止まらなくなってた。

「・・待って!」

頭の中が真っ赤になってて、目が眩んでた。

両肩が痛くなるくらい掴まれてコウタに体を押し返されてた。

「・・・マジ、待って」

息を荒くさせてたのはオレだけじゃなかった。

二人ではぁはぁ言って、呼吸を整えてくと、次第に頭が冷えてきた。

「ごめ・・コウタ・・オレ、・・」

「ミヤハシ・・待ってって言ってんのに・・、オレ、こんなの、知らないから」

コウタが真っ赤になって初めて視線を逸らした。

「こんなのって・・」

「こんなの、知んないよ。・・ちょ、手加減してよ・・」

言いながら、コウタがオレの胸を押し返す。

「手加減・・・。したら、いいの?」

「だ、だって!き、キスとか・・・したことねえのに・・オレ・・こんなん無理」

コウタは顔真っ赤にして唇を手で押さえて、ぎこちなく腰を少し上げた。

その妙な動きには心当たりがある。

勃起してイテェ時に位置を変えるためだ。

コウタが勃起してる。

オレも勃起してたけど、それがどんなにオレにとって破壊力があるか。

身体の芯からコワレソウ。

コウタの裸にむしゃぶりつきたくなる。

ゴクッて喉が鳴る。

「コウタ、好き、ずっとずっと好きだった。今もこれからもずっと好きだ」

「うん・・・。オレ・・・こんなのよくわかんなくて・・好きとかは言えないけど」

ああああ・・・。

ずっと予想してたセリフが生で聞こえてくる。

絶望が波のように押し寄せて、オレはコウタの肩から手を離そうとした、時。

「今、オレの中から・・球種とかバッティングとか全部消えた・・ハハ。頭、変だ、オレ」

額を両手で押さえて困惑するコウタを凝視する。

「コウタ・・それ、マジ?」

「・・うん・・。今、ボール投げられても捕れネエかも・・」

オレのキスで?

コウタの90%占めてた野球を追い出せた・・?

たかがキャッチボールも出来ないくらいに、オレと視線を合わせらんないくらいに。

コウタはオレを意識して、感じて、勃起さして、野球すら考えらんなくなって?

「いい。いいよ。好きとか言わなくても。コウタ、知らねえんだもん、そうだよ。

コウタが恋とかしてない証拠じゃん、ソレ。今から。オレとさ。オレと恋しよ。

恋して、コウタ」

コウタの目が少しずつ上がってオレを見た。

それから、コクリと頷いた。

頷いて、それからどうしたらいいのかわからないって言うコウタをオレはまた抱き締めた。




コウタの夏は終っちゃったけど、今度は秋がくる。秋がきて冬がくる。

オレ達は一歩ずつ恋しよう。

ずっと待ってた事、ずっとしたかった事、コウタだけが叶えてくれる。

そんなのシアワセすぎる。

コウタの心を占めてた野球に嫉妬した事もあった。

だけど、今なら感謝も出来る。

だって、コウタはずっとずっと野球しか知らなかったから、コウタの初めて、

全部オレが貰えるんだもん。

「コウタぁ・・」

「ミヤハシ・・」

ドクドクと鳴る鼓動の中、見詰め合って、唇を寄せた。

オレの後ろから、ゴホンッて今時珍しいくらいハッキリした咳払いが聞こえて

オレは飛び上がって、振り向く。

と、モモヤマが嫌味な程頬を吊り上げてプリントを片手に戸口に立っていた。

「いるか?」

答えの書かれたプリントをヒラヒラさせる。

オレはタイミングの良さに舌打ちしたが、ソレはありがたく受け取る事にした。

と。

手を出すと、モモヤマがソレを引っ込めた。

「なんだよ、モモ」

「交換条件」

「は?」

モモヤマは涼しい顔で続けた。

「抜け駆けすんな。オレもコウタ好きってわかってなかった?」

呆然とするオレの横をモモヤマは通り過ぎ、コウタの前へ座ってプリントを提供する。


なんじゃ、そりゃ・・。

コウタ・・まさかだよな・・?

ただ「キス」に慣れてないから勃起しただけとか・・じゃないよな?

オレとしたから勃起したんだよな・・!?


不安がよぎるオレの目の前で、モモヤマがコウタの顎を掬う。

「コウタ・・・!!」












夏が終る。
秋がくる。
冬もくる。
春もきっとくる。

微妙な三角関係が今始まる。










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