カネダ ジュンヤのネガイ




東京の薄い空色の空に、スッと消えていく蒸気の
ような、白い吐息のような煙。
小さな排気は、さっきも同じようにあそこから吐
き出されていたのだろうか。

手にした小さなビンに詰まった、子犬の骨。
ほとんど骨など残らず焼かれ、ビンが傾く度に
コロッと音がした。

「悪い事したな。お前を買ったオレがバカだった
よ。ゴメンな」
小さなビンを胸に押し付けるように呟いた。
言葉は空しく風に溶けた。
誰にも聞かれていない言葉は本当にただの一人言
でしかないかも知れない。
心からの謝罪も懺悔も自己満足でしかない。
それでも、言わずにはいられない程、そのビンの
軽さは手を震わせた。
小さな小さな茶色のチワワだった。
掌に乗せられる程大人しく、庇護欲にかられる小
動物。
千葉の祖父母の家に姉が退院してすぐ、両親の目
に隠れて訪れたのは数日前だった。
「ヒナちゃん」
姉は静かに座っていた。
ただ、座っている。
お人形のようにダラリと手足を伸ばしたまま、籐
の椅子に座っていた。
長かった髪も切り、手入れの行き届いていた爪も
短い。
生きているのか手を伸ばして確かめたくなるよう
な薄い存在。
まるで、姉のコピーでも見ているようだった。
思わず口から出た名前は、姉が変わる前までの呼
び方だった。




人が変わるのは突然だ。

オレは、あの日の事を何度も繰り返し再生する。
生きた狂気。
剥き出しの欲望。
誰もが被害者で誰もが加害者だった。
残酷は残酷を生んだ。

ヒナ、あんたはオレを愛したかったのか?
なら、あんたは間違えたんだ。
オレはアレを愛だと受け取れやしなかった。
ただの性欲の押し付けだった。
ムリなセックス。
逆レイプ。
繰り広げられたのは子供部屋で、二段ベッドの下。
オレは13歳、ヒナは18歳だった。
オレの精神も崩壊寸前だった。
だから、逃げたんだ。あんたから。
オレは、違うモノを愛したい。
あんたじゃなく。
もっと温度のあるモノを。

「ひな」
静かに、ヒナの首が動いた。キリキリキリと、カラ
クリ人形の音でも聞こえてきそうだった。
久しぶりに触れられる程の距離にまで近づいた。
緊張で、声が出なかった。
恐怖が蘇る。
あんたが壊れた日の記憶が記号化してオレの血流を
乱す。
何も言葉は出なかった。
ただ、手にしていたキャリーバッグを置いて中から
子犬を出す事だけ。
ヒナの目は犬なんか見ちゃいなかった。
ピタっと据えられた瞳は、瞳孔が開いたように大き
な黒色で濁っている。

なんでオレなんだろう?
あんたはどうしてオレを選んじまったんだろう?

背筋を汗が伝って、息を飲み込んだ。
オレが出来たのはここまでだった。
気がつけば、息を荒くして電車に乗り込んでいた。
オレは被害者なんだ。
これ以上は頑張れない。
リハビリが必要なのはオレの方かも知れない。
体中が放電しているようだった。
震える手で携帯を掛ける。
「早く、早く、出ろ」
誰でも良かった。
ただ、リダイヤルしただけの相手。
コール音が途切れる。
『モシモシ』
繋がった声は、イズミサワケイタだった。
「センパイ」
オレの方が驚いた声を出す。
『なんで掛けてきたオマエがそんな驚いた声出すんだよ』
「ハハ、マジビックリした」
『わけわかんねー。切る』
「待って!今電車だから」
『なら、尚更だろ』
「センパイ。頼む。少しだけ。少しだけ話してて」
『・・・何企んでる?』
「なんも。ただ人恋しくなっただけ。おかしい?」
『・・・イヤ、わかる。』
電車の轟音に掻き消されそうな小声だった。
”わかる。”
胸が鷲づかみにされたようだった。込み上げる涙を、鼻を
啜って堪えた。
『・・・アキタと代わってやろうか』
「あ、アキタと一緒にいんの?あのバカの声なんか聞きた
くねーよ」
『ウソつけ。本気だったんだろ』
「な、わけねーじゃん。オレはセンパイの方が好きだよ。
かわいくて、ヤラシクテ、センパイとは相性バッチだった」
一端浮かんだセンパイの痴態を辿る。指先が熱を持ったよう
に熱い。
『あんなモンに相性なんてねーよ』
「なぁ、会えない?慰めてよ、センパイ。優しくするから」
今なら本気でそう思えた。ドロドロに甘いセックスも、セン
パイ相手なら出来るかも知れない。
『・・・オマエの優しいとこなんて見た事ねーもん』
「絶対優しくする。センパイにだけ、特別。約束する」
『・・・・何の話だ?カネダ』
暫しの絶句の後、聞こえてきた声にオレは笑い出した。
『オマエって意外としつこいヤツだったんだな』
おかしくて、人目も構わず電車のドアに凭れながら笑った。
「アキタ、オマエ最高だよ。もう、電話しねーから安心しな。
なんなら着拒否してイイゼ。設定してやれよ」
『意味わかんねー男だな』
「あ、待った。センパイに愛してたって言っといて。オレの
シンジツ」
『アホ死ね』

まだ笑えた。
オレは笑えた。
今度はキチンと恋人の番号を呼び出す。
「もしもし、シュウ?」







オレはオレの道から姉を見守ろう。
すれ違うだけの道からでも、きっと側を通ってる。
交差する日は無いかも知れないけれど。
小さなビンの中の音。
大切に胸に抱いて帰った。


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