関東大会の予選。 雨の水曜日。 シード扱いのウチの対戦相手は、俗に言う格下。 ピッチの条件が悪いせいでアンラッキーな一点 を取られたが、その後は、ワタヌキ劇場と化し たグラウンドは応援席の生徒達を沸騰させた。 一年坊主のオレ(モリヤ ナギ)もその中の一 人だった。 グラウンドにも入れないジャージ集団の一人と して、レギュラー達に微量ながらパワーを送る ために声を張り上げ続けた。 最後の笛が鳴った時には涙さえ浮かんでいた。 体中に泥を浴びて選手達が、ホッとした笑顔で ベンチへ帰ってくる。 常勝のプレッシャーと90分戦った足取りはフ ラフラだった。 足を攣ったままフルで出た先輩もいた。 ワタヌキもザブザブに濡れた足を重そうに引き 上げ、雨に顰めた顔をコチラに上げた。 オレは傘を差し向けてやる事も、タオルを差し 出す事も忘れて、疲れ果ててニヤケる男を力一杯 抱き締めていた。 ヤバイとかそんな事は思いもしなかった。 ただ感動して、褒めてやりたくて、涙が出て、 自然な衝動だった。 でも、それは周りでも同じ様に繰り広げられて いた事だった。 誰でもいいから皆が抱き合ったり、手を合わせ たり、拍手したり、叫んだりしてた。 ワタヌキも嗚咽を堪えるオレを片手で抱きなが ら、もう片手を上げたりしてる。 たぶん誰かとハイタッチしたりしてる。 オレの頭も誰かに小突かれたり、撫でられたり した。 「ガキ」 ワタヌキの声が耳元で笑う。 それでも、ワタヌキはオレを引っぺがしたりし なかった。 皆が、この一勝の、重さを知った。 この雨がもたらしたのは、勝利だけではなかった。 あんなに泣いたのは何に感動した以来だったろう? 体の疲れはピークで、家に着いた後はメシも食わな いで、眠り続けてしまった。 だが、それは単に疲れていたからだけじゃなかった と、学校に来てから気づいた。 タリィ。 ダルダルにタリィ。 背中がゾクゾクと震えて寒気がした。 「何、お前、顔色ワリィね」 北村がオレの前の椅子の背を抱くように座って顔を 覗き込んできた。 「やっぱし?何か、だりぃ。風邪引いたかも」 オレは額を軽く押さえて俯いた。 熱は無さそうだ。 「昨日濡れたせいだろ。レギュラーは動いてたから 雨かぶっても、平気だったろうけど、オレら動いて なかったから、冷えたもんな」 「う〜〜、寒気がする」 その声に隣の席の明石が反応する。 「オレ、薬、貰って来てやろうか?」 「薬?」 「そ。部活の先輩でいつも薬持ち歩いてる人知って るから。ホラ、バファリンとか痛み止めになるけど、 あれ、風邪薬じゃん?」 明石は少林寺みたいに二厘刈りにした凶悪な顔を、 綻ばせて言った。 「ばふぁりん。」 カワイイ名前だな。 「待ってろよ。貰って来てやるから」 明石は、嬉々として席を立った。 「おう!ヨロシクな!」 北村がその背中に手を振る。 「・・・アイツって何部だっけ?」 「一目瞭然じゃん。あの風貌。人相は悪いがヒトは いいな、あいつ」 北村は、回ってきたサッカー雑誌をパラパラと捲った。 オレはそれを明石が戻るまでボンヤリと見つめていた。 明石は戻って来るとオレに、申し訳無さそうに頭を下 げた。 「モリヤ、わりぃけど、自分で貰いに行ってくれるか? なんかお前の事言ったら、話したいらしくてさ。お前、 うちの先輩と知り合いだったんだな?」 オレと北村は、明石の顔を呆然と見上げた。 「・・・付いてくか?」 北村が雑誌を閉じる。 「・・・オレ、なんかヤってたか?」 「イヤ、違うって、別に呼び出しとかじゃねーよ。あ の人すげー優しい人だし。な、頼む、頼まれてくれ」 明石がさらに頭を下げて、両手をパシッと合わせる。 北村がオレを見た。 オレも北村を見た。 「・・・・・」 「・・・・・」 何かがオレと北村の間で交信される。 オレはガタガタと席を立った。 「じゃ、行ってくる」 「おう」 「わりぃな!」 明石は満面の笑みでオレを送り出した。 そういや、先輩って誰だ? 聞きわすれちまったぞ。 そういや、アイツ、結局何部なんだ? 北村は見りゃ分かるだろって言ってたけど・・。 「よ。」 そう声を掛けられるまでオレは明石の先輩ってのは女 だと思っていた。 階段の踊り場で手摺に軽くケツを乗せて、そのヒトは オレを待っていたようだった。 手には”ばふぁりん”の箱。 「・・・あ、生徒会(室で)の・・」 「なんだ、オレの名前も知らなかったんだ?アキタか ら聞かなかった?」 「あー、なんか、聞いちゃマズイかと」 オレは視線をはぐらかした。 その人は、イズミサワさんと”生本番”のヒトだった。 「カネダ、ジュンヤ、生徒会の書記。なぁ、少し話そ うか?」 訊いてはいても、返事はいらない様子で、カネダさん は、階段を降りていく。 オレも薬なんて、もうどうでも良かったけど、付いて 行かないわけにはいかなそうだった。 サスガに一時間目から体育の授業はどこのクラスも無 いらしくノッペリとしたグラウンドには点々と水溜り が広がっているだけだった。 人気の無い水飲み場。 掌で、白く硬い粒がコロコロと手渡しされた。 それを一つ、口に放り込む。 上向きの蛇口から溢れ出る水を少しだけ含んで、嚥下 した。 ごくり。 もう一粒も同様。 ごくり。 すると、その後ろの方で段差に座り込んでいるカネダ さんが、クスクスと笑っている。 「何スカ?」 「薬、好きじゃないんだろ」 「あー・・」 何か言い訳を考えたが、そのまま空いた口が塞がらない。 「一個ずつ飲むヤツ、初めて見た」 そんなに、ヒトは、ガーっと薬とか飲むもんなんだろ うか? オレは、あんまり風邪も引かないから薬飲むのに慣れ て無いだけだと思うんだけど。 だいたい、そんなにヒトが薬飲んでるとこなんか見た 事無いし。 「ま、座んなよ」 オレは、言われるまま、カネダさんのすぐ隣に座った。 その頃。 「あ、ちーす、先輩。コレ、回って来たんですけど読 みます?」 北村は、とある二年の教室へ一日一回の日参に訪れて いた。 「おう、貸せ。今日眠てー授業ばっかなんだよ。今月 号?」 「はい。大久保のインタビューとか載ってましたよ。 スゲー、カッキかったス。もう、世界は遠く無いッス ね。Jリーグなんて世界は誰も気にしちゃいなかった 時代は終わりッスよ。先輩も国内より、 海外に行きたいんじゃないッスか?」 「海外?・・アホか。オマエ、夢見すぎ。オレの夢は そんな儚くなんかねーの」 「エーーーー!?信じらんねー・・、プロスカウト来 てるって知ってんスよ?それとも、オレなんかには漏 らせないって事っスカ?」 「バーカ、国立だよ」 北村のケツを後ろからアキタが蹴った。 「ワッ」 北村は狭い机と机の間の通路につんのめる。 「おせーじゃん。今来たのか?」 「たまの、朝練無い日くらいゆっくり寝かせてくれ」 「レギュラーより寝るってどうよ?絶対オレの方が疲 れてるだろ」 「じゃ、許す許す。倫社、寝ていいぞ」 「ソレは、オマエに許されなくても、オレは寝る」 「先輩、国立って、冬の?」 ケツを摩りながら、北村が口を挟む。 「コイツの夢だよ」 アキタはワタヌキの短い髪をクシャクシャと掻き混ぜる。 「出てーんだよな(モリヤと)」 「うるせぇな」 そう言いながらもその手を振り払ったりはしなかった。 「へー、そうなんですか。意外とフツウなんスね」 あきらかに、北村の声がガッカリしている。 勝手にオレを妄想しすぎなんだよな、コイツ。 一瞬、影を差した北村の顔が、あ、と呟いた。 「そういや、さっき最高でしたよ。 モリヤまた、”呼び出し”されたんスよ。ダチづてで。 でもこれが、空手部の先輩なんスよ!!空手部の女です よ?最高でしょ? かなりビビりながら、行きましたよアイツ」 馬鹿笑いする北村の声にアキタが顔色を変えた。 「空手部に、女子はねぇぞ」 「え、そうなんスか?話がしたいとか薬くれるとか言う からてっきり女だと思ったんスけど・・もしか、ケンカ ・・!?」 「薬!?空手部・・、カネダだ。アイツいつもガシャガ シャ持ち歩いてんだ」 「何の薬だ?」 「バファリンとか、痛み止めだ。ワタヌキ、水飲み場見 て来い」 「あ、先輩、オレも」 「オマエはいい。もう、チャイム鳴るだろ。教室帰って、 モリヤが具合悪くて保健室に行ったって言ってやれ。 あ、っと待て、お前カネダ知ってるか?生徒会のヤツだ。 ちょっとタレ目で背高けぇの」 「あー、なんとなく、わかる、かも」 北村は眉を上げ下げしながら振り返った。 「アイツの家はヤー公だ(常套句)。絶対近づくな」 「えええ!?マジッスか!?わかりました!絶対、ゼッ ッッタイ近づきません!!」 ガッツポーズを見せてから歩き出す北村の背中にアキタは 思う。 スナオっていい事だよな・・・。 校舎の裏手にヤマをはったのは当たりだった。 オレはその光景に心底ホっとした。 いや、全てにホっとしたわけじゃなかった。 ただ、この状態の時に見つけられて良かったと、思っただ けだ。 カネダの噂はオレだって知っている。 実際、アキタを口説いてるのも見たことがあった。 相当なモノ好きだ。 オレは二人の前に立って、見下ろした。 「寝てんの?コレ」 「そうみたい。さっきまで話してたんだけどな。たぶん、 薬に弱い性質なんだろ。薬飲むの下手だったし」 クスクスとカネダが笑う。 その顔のすぐ横にナギの頭がある。 ぐったりとカネダに凭れかかって、ゆっくりとした呼吸音 がそこから聞こえた。 その隣にオレは座ると、その体を一気にオレの方へ引き寄 せた。 カネダは、笑って、頬杖をついている。 「寝たから、どっかに運ぼうかと思ってた」 「何、飲ませた?」 「バファリン」 カネダはポケットから箱を出して、軽く振る。 オレは、カネダの歪んだ目を見つめて言ってやる。 「今度はオレがテメェに飲ませてやるよ。死ぬほどな」 「ハッ、オマエ見た事あんのかよ。一瓶飲んだくれーじゃ、 人間って死なねーんだぜ?延々飲むんだぜ。死ぬためにはよ」 ケラケラ、ケラケラ、カネダがおかしそうに笑うのをオレは 、静かに見つめた。 「・・・悪りぃけど、コイツはオレのだから。オレの・・、 オンナだから」 言ってから、妙に恥ずかしくなった。 オンナって・・・オンナ扱いしてるつもりなんてねーんだけ ど、でも、オンナか。挿入してるし・・。 「クックククッなに、恥ずかしがってんだよ、自分で言っと いて、顔赤らめんなよ、オマエが」 カネダは袖で口を塞ぎながら笑っていた。コイツの顔もほの かに赤い。 「うるせぇな。わかったのかよ」 「わかってる。わかってる。つーか、オレはマジで話したかっ ただけだし。サッカー部の近況を知りたかっただけだったんだ。 まさか、オマエみたいなのが出張ってくるとはナ。 まるっきりモリヤにそんな雰囲気無いから、ビックリしたぜ、 オマエが来た時は」 カネダは立ち上がるとケツのポケットから携帯を取り出す。 「オレの番号」 「いらねーよ。ヤローの番号なんか集めてねえ」 「そう言うなよ。コレは貸しだ。オマエの”オンナ”の面倒 見てやったんだからな」 渋々、オレは携帯を取り出し、通信画面を開く。すぐにカネ ダのアドレスが送られて来る。オレは折り返し、自分のアド レスも送る。 「サッカー部の誰の話が聞きたかったんだ?」 「ん?昨日勝ったかどうか聞きたかったんだ」 「誰でも知ってるぜ」 「・・・そうだな」 それ以上は答えず、カネダはヒトの好い笑みを口元に浮かべ て背を向けた。 オレはナギの肩を強く抱いて、サラサラと風に揺れる髪にキ スした。 「このバカガキ」 反応の無い体をより一層強く抱きしめた。 30分もした頃、やっとナギの目が覚めた。 「アレ・・・・、センパイじゃん」 目を擦りながら、ハフハフと欠伸をかく。 「オマエな、ヤバイ奴くらい見分けろよ」 「え、なんかヤバかった?」 「アレがヤバくないなら少年法なんていらねーよ」 「・・・別に、昨日の試合の話しかしてねーけど。 カネダさんも、嬉しそうに勝って良かったって言ってたけど」 オレは目を瞠る。 どうやら、ナギの前では完全に裏の顔を出す気はなかったら しい。 歪みすぎなんだよ、アイツ。 訳わかんねぇ。 「心配させんな」 言うとイキナリ、ナギの顔が赤くなった。 「う、うん。ゴメ、あ」 かわいすぎるナギを強く抱きしめて、オレはナギと口を繋いだ。



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